カテゴリ:ありがたくてぽろり( 2 )

廿日が彼岸の入りじゃってからに
明日はお彼岸の中日じゃげな。

毎年秋彼岸のころになると
でぶにぃがよく話していたしんみり話
を思い出す。
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真宗学の偉い学者先生のお一人に
大原和上さまがおられる。

お若いごろは、R大学の時の教授であられて、
でぶも教室の隅の方でその学びを受けたらしい。

その和上さまのお母ぎみのお話だ。
和上さま、母ぎみ、お二方ともに亡くなられている。

うろ覚えで、定かではないのだが
先生と下にあともうお一人息子がおられたが、
戦争に行き、
若くしてかけがえのない命をなくされたと。

むろん先生もショックを受けられたのだが、
御母堂の哀しみの深さは、
いかほどのものであるかは・・・
おそらく
こちらではうかがい知ることはできないであろう。

戦争が終わり、世の中も落ち着いてきたごろ
先生も大学に戻られ、
実家の書斎で勉強をされていると
母ぎみが合間にお茶を入れてくださり

その時決まってお話しされることがある。



「お隣のおうちには、三人も息子があるのよ。
その三人息子全部戦争に行かれたって。
それが、あなた。戦争に行った三人息子全員
無事に戻ってきたんですって。」

「そりゃ、結構なことじゃないですか。お母さん。」

「何が結構なもんですか。三人も行って、
三人が全員無事に戻ってくるなんて!
うちの子はたった一人しか行っていないのに、
それが死んでしまって。
お隣の三人のうち一人でもあの子と代わって
死んでくれたらよかったのに(-公-、)」


と、愚痴をこぼされるのだそうだ。
先生は、「ひどいことを言うな」と思われたが、
母親の哀しみがそれほど深いのだろうと、
余計なことを言うまいと黙って聞いておられた。

が、しかし、
毎日のようにしかも、「お茶」と言うては、
1日の内に何度も繰り返し巻き返し聞かされると、
腹立たしく思われるようになった。
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そんな日々がどれぐらい続いたのか(覚えていないのだが、)
数年としておく。

先生も、
「いつかは母に言うてやらなければならない」
と思っておられた。

いつものように書斎で勉強していたある日、
いつものように、母ぎみがお茶を持ってきてくださった。
そしていつものようにあの愚痴が始まった。

「今だ」と、先生は思い、
母ぎみの言葉を遮るように
「お母さん、いい加減にしてください。
そりゃ、自分の息子が死んで哀しいのは分かりますよ。
でも、お隣の身になってごらんなさい。
三人いれば
どの子もひとり子のようにかわいいんですよ。
一人かけても哀しいに決まっているじゃないですか。
そんなことを言うてはいけませんよ」と、諭すように仰った。

すると母ぎみは、目にいっぱいの涙をためて
そうして、顔を手で覆い隠し
部屋を出て行かれた。

その日を境に母ぎみは、
あのお決まりの愚痴をおっしゃらなくなった。

一切。

亡くなられるその日まで。。


そして

母ぎみも亡くなられ、
先生も和上になられてから何年も経ち
実家に帰ってご両親の墓前へ参られると、

「あれっきり愚痴も言わんようになって、言いすぎたな」
と、当時を思い出される。

「もうあの愚痴も聞かれんのだな」
「今となっては、有難かったな」


と、寂しさもおぼえた和上さまが、しんみりと詠まれたお歌。




ふるさとに

かへりてみても

愚痴言わぬ

石碑のこりて

秋の風ふく





初秋のしんみり話。。

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わしも、久しぶりに聞きとぅなったのぅ、
じーさんが言うつまらんダジャレ・・・・なんちて。



会いたいわ、、じーさん(-公-、)
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遥か遠い遠いその昔
お釈迦ちゃんが仰った言葉
「人生苦なり」

人は人間に生まれたその時から悩みを抱え苦しむものである。
悩みぬいた揚句どうにもならなくなり
自ら命を絶つ人
また、
如何にも何気なく過ごし何も悩みがないように見える人も
何かで苦しんでいるに違いないのである。
人は、
必ず一度は大きな悩みを抱え苦悩することにぶち当たるものである。
だからこそ
仏さまの願いの本当の意味を早く聞かねばならないと
示してくださっているのが仏法なのであろう。

如来の作願(さがん)をたづぬれば
苦悩の有情すてずして
回向(えこう)したまひて
大悲心(だいひしん)をば成就せり


親鸞聖人の正像末和讃の中に書かれてあるご和讃。

『阿弥陀ちゃんがわしら衆生を
救わずにはおかないという願いを起こされた
本当のお気持ちを
よくよくたずねてみると
悪業煩悩(あくごうぼんのう)によって苦しんでいる衆生を
救うためであった。
阿弥陀ちゃんの功徳(くどく)のすべてを
一切衆生に差し向け与えることを第一として
大悲心である名号を成就された。』

解読文でもわしにゃよう分からんが…(笑)

阿弥陀ちゃんがわしらを救わずにはおかないという願いは
「苦悩の有情」のためにある。
「苦悩の有情」とは、毎日のように悩み苦しむこのわしのこと。
ひとつ問題が解決してもまた次に別の問題が起こる。
ひとつ苦しみが去ってもまた次に別の苦しみがやってくる…
と、わしらの苦しみには限りがない。
決定的な解決の手立てを見いだせないまま
いつまでも悩み苦しみ続けているのがわしらである。

それをよくよく知っておってくださるのが阿弥陀ちゃん。
わしがその苦しみに気づく前から
「ほうかほうか」と、ともに悲しんでくださる阿弥陀ちゃん。
いのちの底からわしらのことを
知り抜いて知り尽くしてくださり
一緒に泣いてくださる阿弥陀ちゃん。

へぇでからに
そげなわしらを「摂め取って(おさめとって)見捨てない」と
願い立ち上がり誓うてくださっとる阿弥陀ちゃん。

そげな阿弥陀ちゃんのおこころに似たお話をみつけた。

あるお方がフェイスブックに書いてあった感動した文章を
ブログに載せておられた。
わしも感動したのでここに書いてみる。

ある女先生のお話じゃった。

  ******  ****** ******  ******¥

その先生が小学校五年生の担任になったとき、
クラスの生徒の中に勉強ができず、
服装もだらしない不潔な生徒がおったんじゃげな。

先生は、その生徒の通知表にはいつも悪いことを記入しとったらすぃ。

あるとき、この生徒が一年生だった頃の記録を見る機会があったんじゃげな。
そこには、

「あかるくて、友達好き、人にも親切。勉強もよくできる」
と、書かれてあった。

あきらかに間違っていると思った先生は、
気になって二年生以降の記録も調べてみたんじゃと。

二年生の記録には、
「母親が病気になったために世話をしなければならず、ときどき遅刻する」

三年生の記録には、
「母親が死亡、毎日悲しんでいる」

四年生の記録には、
「父親が悲しみのあまり、アルコール依存症になってしまった。
 暴力をふるわれているかもしれないので注意が必要」


 ………先生は反省した。今まで悪いことばかり書いてごめんねと。

そして急にこの生徒を愛おしく感じた。
悩みながら一生懸命に生きている姿が浮かんだのである。

なにかできないかと思った先生はある日の放課後、この生徒に、

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、一緒に勉強しない?」

すると男の子は微笑んで、うなずき
その日から一緒に勉強することになったそうな。


六年生になって男の子は先生のクラスではなくなったが卒業式の時に

「先生はぼくのお母さんのような人です。ありがとうございました」
と書かれたカードをくれた。

それから卒業した後も、数年ごとに手紙をくれるようになった。
節目ごとにくれたんじゃろぅのぅ、きっと。

「先生のおかげで大学の医学部に受かって、奨学金をもらって勉強しています」

「医者になれたので、患者さんの悲しみを癒せるようにがんばります」

そして、先日先生のもとに届いた手紙は結婚式の招待状じゃった。

そこにはこう書き添えられとった。

「母の席に座ってください」

  ******  ******  ******

この話が本当の話なのかは定かではないが、
先生の生徒を思う心が
放課後一緒に勉強をみてあげるというおはたらきになり
そのおはたらきが男の子の心に届いて
たった五文字の名前で
「おかあさん」と呼ばせしめたのである。

たったの五文字であるが
その名の中には
「ごめんね」とか
「元気出して」とか
「いっつも見とるで」とか
「一緒におるで」とか
「一緒にがんばろうで」
とかいう先生の願いがいっぱい詰まったお名前なのである。

阿弥陀ちゃんはこの先生みたげに
わしらのことを慈愛に満ちたおこころで
いっつも見てくださっておるんじゃろぅのぅ^^

へぇでからに
六字のお名前、お念仏となって
このわしの口からこぼれ
「なもあみだぶつ」と
おはたらきくださっとるんじゃのぅ
うれしいのぅ

なもあみだぶつぅ❤
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